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2009年5月

2009年5月31日 (日)

”ジャンヌ・ランバン”について!!!

ジャンヌ・ランバン(1867年~1946年)は アールデコ時代の代表的デザイナーです。

1889年 フォーブル・サントノレに帽子店を開業します(屋根裏部屋の小さなお店だつたそうです。)しかも顧客もなく・・・・・ 転機は 自分の娘に作ったドレスが話題に成り 子供服の注文が来るようになった事です 親子は パーティ・・・等に積極的に参加し評判をさらに上げました 1908年には 子供服部門を作り いよいよ 成功の階段を昇り始めます

やがて レディス部門へと仕事の範囲を広げていきました 東洋的シルエット 民族的ディテールを取り入れエレガントなスタイルを確立し スパンコール パール ビーズ ・・・で 花や木の葉 リボンモチーフの刺繍をされた「ピクチャー・ドレス」ドレスが有名です
(ピクチャードレス・・・大きく開いたネックラインから 流れるようなローウェストのワンピースドレス)

パールはこの時代のシャネルも 装飾品によく使っていますが 
ランバンのようにパールを刺繍 装飾品に生かした作品作りは 他を寄せ付けなかったと言われています。

1925年香水部門 1926年紳士服部門と事業を拡大していきました
女性で初めてのレジョン・ドヌール勲章を受勲します
1937年 パリ・オートクチュール協会会長就任しま

彼女の死後もメゾンは クロード・モンタナ クリスティーナ・オルティス ・・・優秀なデザイナーにより引き継がれています。

現在はアルベール・エルパスがデザイナーです メンズ部門はルカ・オッセンドライバーがデザインし トレンドセッターブランドになっています。

ジュエリーは作っていないようですが ライセンスで栄光時計が我が国で展開している様です(アクセサリーとしての装飾品は有ります)

シャネルの「ビジュー・ファンタジー」 や1930年に初めてパリで「コスチュームジュエリー」だけの展示会があり 当然ランバンも 当時オートクチュールの発表に装飾品も使っていると思われますが 1937年には第二次世界大戦がはじまり メゾンを閉めたところも多いので パール以外にどのような装飾品が 有ったのか?はわかりませんし 
また 彼女の全盛期が 1920年~1925年のアールデコ期だつたのでひと世代後になるのかも知れません。

帽子から始まり トータルブランドとなった基礎は 彼女の娘への愛情の様です 
唯 その切っ掛けを見逃さない 行動力も称賛されます!!

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2009年5月30日 (土)

”ヴェルドゥーラ”と言うジュエリーデザイナー!!

1899年 「フルコ・ディ・ヴェルドゥーラ」は イタリア パレルモの公爵家に生まれる 
父の遺産を使い切り 1926年イギリスへ仕事を求め移住する1927年作曲家コール・ポーターの妻に紹介され ”シャネル”と会ったことで大きく道が開けて行きました。

シャネルは彼の美術品を見る目の高さから ジュエリーの担当にしました
彼は シャネルと共に ドレスデンのシャルルマーニュ・コレクション パリのルーブル ・・・・を訪れ アイデアをルネサンス ビザンチン 古代中東のコレクションに求めました。
(このころ シャネルは数人の貴族を使用人にしており 陰口も有ったようです)

シャネルとの共同制作(1927年~1934年)で一番有名な作品は「マルタ十字のバングル」でしょう 白のエナメルのカーブにゴールドのマルタ十字に貴石 半貴石 パールのデザインです (シャネルも気にいつて1935年の写真でも両手首に着用している)

1934年ニュヨークに移住 1939年店をオープン 大胆な中にも貴族らしさを出した作品は富裕層に爆破的な人気に成ります 有名な貝のブローチは ミリセント・ロジャース(ネイティブアメリカンに注目していた当時のファションリーダー)とウインザー公爵夫人(王位を捨てた世紀の恋として有名)が所有者と言われています・・・・・・

1972年パートナーに会社を譲り イギリス ロンドンで風景画家となります
1978年他界しました

現在でも ニューヨークに本店があり 2009年1月11日のゴールデングローブ賞での
カロリナ・ヘレナの ヴェルドゥーラの伝説のバングルと言うのは「マルタ十字のバングル」の様です( 家業の継承とは異なるので ”ヴェルドゥーラ”らしい新しい作品とは なかなかいかないようです) 

シャネル女史 ハスケル・・・・・ファション界の女性経営者の人を見抜く力は デザイン力と同じか それ以上に2009_05215210027 素晴らしい才能だと感じました。
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人造宝石リング

定価 ¥55000

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2009年5月29日 (金)

「フーケ」と言う宝飾店!!

1854年 アルフォンス・フーケ(1828年~1911年)がパリで創業しました
1955年宝石商ルーヴェナと提携・・・・・   1978年パリ万国博覧会で金メダルを受賞します
1979年 自身の店を オペラ通りのオープン(現在でも 彼の作品は パリ装飾美術館で見ることができます)

1891年息子のジョルジュ・ブーケ(1862年~1957年)が29歳で父と共同経営者となり
才能を開花させ 1900年のパリ万国博覧会で金メダルを受賞します
彼はアールヌーボーを代表する作家の一人であり 花 昆虫 裸婦・・・・のデザインをエナメル 真珠 べっ甲 オパール・・・を使い 左右非対称の曲線のヌーボー様式の作品を作りました。

1895年 絵画 ポスター・・等でアールヌボーに決定的役割を演じたとされる アルフォンス・ミュシャとの提携を始めます ミュシャのデザインで女優サラ・ベールのスネークバングルをジョルジュが製作しました事は有名です。
1901年店をロワイヤル通りに移転します この店舗デザインも ミュシャによる物です
(現在はカナルヴァレ美術館に移転保存されています まさしく アールヌボーと言う物です 当時のお店が想像できます)

1925年装飾美術国際展(アールデコ展)では ジュエリー製作部門の代表となり パリのジュエリー界の重鎮となります
1927年 服飾デザイナー ジャン・パトゥ(現在は香水のブランドとして有名)と共同展を開催します
ジョルジュも 当然 アールデコの作品も作り さらに彼の息子ジーンもデザインを提供しますが ジーンはお店の経営には参加しなかったと言うことです

1929年 世界大恐慌の波に飲み込まれ1930年代初頭にはお店は閉店します
その後ジョルジュは父や自分の作品や資料の整理にあたったそうです。

アールヌーボーの作家は 廃業 他業種へ転向するかたが多いように思えます
その芸術性の虜になって 他には興味がわかないのでしょうか?
確かに 日本の影響があったとされるアールヌーボーには 日本人には 語りかけられるように感じてしまう人も多いのではないでしょうか。

アルフォンス・ミュシャの作品は 大阪府堺しの堺市文化館で見ることができます
(カメラの「ドイ」の創業者の方が寄贈されたそうです)

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3カラット パターンオーダーです

定価 ¥30000

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2009年5月28日 (木)

「モーブッサン」のお話!!

1827年 ロシェとヌーリーの2人がパリの工房を買い取った時を創業としています
1872年パリ万国博覧会で銅メダルを受賞

その後 ヌーリーの甥「ジョルジュ・モーブッサン」が後継者となり 
1923年大規模な工房へと転換し 一階には 売り場と展示場を開設し沢山の在庫を展示しました
1928年~1931年に ①エメラルド②ルビー③ダイヤモンドの3大展示会を行うことにより大反響を呼び ”ヴォーグ” ”ヴァニティフェア”・・・・の各誌に取り上げられ
ジョルジュはファションリーダーとして認知されます さらには1955年にヴァンドーム広場に出店します

創業は19世紀ですが 実際の活動から考えると アールデコ以降のジュエラーと言えると言われています 

水晶 珊瑚 オニキス 翡翠 マザーオブパール・・・の比較的安価な素材を使いアールデコ様式の作品を作っています 全体的にカラフルな作品が多いのも特徴です

宝石 ナサック(89カラットのダイヤモンド)やポーターローズ(153.5カラットのダイヤモンド)を売買したことでも有名で 作品もさることながら 広報 経営の才があつた様です

我が国では 大丸だけで展開されてきましたが 2000年直営ブティックがオープン
各百貨店の展開も始まり 時計は代理店の展開もあるようです

2009年銀座に旗艦店をオープン 価格帯が10万代の婚約指輪・・・にも驚きましたが
6月1日~6月30日のキャンペーン 0.1カラットのダイヤモンドを先着5000個プレゼント それでリングを作れば5万円 ペンダント7万円・・・・・さらに10回払いもでき その手数料はモーブッサンジャパンが負担します・・・・・ 
この機会にグランサンクのひとつとして世界のセレブリティから愛された老舗の職人技に是非触れてみたら!!・・・と結ばれていました。
 

歴史 伝統 有るんですね!!
「贅沢消費論」で言う 見せびらかし消費を考えても ブランドとしては  少しリーズナブルじゃないんでしょうか?
”ファスト ダイヤンモンドジュエリー”とでも言うのでしょうか?
”グラフ”と対極にあるジュエラーですね
アメリカのダイヤモンドジュエリーの平均価格は数万円と言われています(例外は当然ありますし これはコモディティと呼ばれる物の事です)
 
いずれにせよ 一般ジュエリーは流行品です次々に買い換えていただく物です
その点 合格
と言えるかも知れませんね まずは消費者の方も正しい知識を持ちましょう!!

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人造宝石のリング

定価 ¥40000

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2009年5月27日 (水)

御木本真珠店について!!

御木本真珠店(現ミキモト)は今や日本を代表するジュエラーであり また世界でも認知されるジュエラーです

1893年世界で初の半円真珠の養殖に成功 1899年真珠に特化した専門店をオープン
1905年真円真珠の養殖に成功 1907年金細工工場を開設 これにより真珠生産からジュエリー生産までの一貫体制ができました 1913年海外支店を出店 1937年パリ万国博覧会に出品し さらに 裁判にもなった 真贋の判断にも勝ち 世界から認められる存在となりました

1923年 皇太子殿下妃の為のティアラを含む公式行事のジュエリーを作製する
1937年 パリ万国博覧会に出品 その中でも「矢車」は帯どめとブローチが兼用できる作品ですが 全てが分解でき簪 指輪・・・・等12種類に使える実用性も備えていました
ジュエリーの総本山とも言うべきフランスで デザイン 技術 ともに大喝采を受けたそうです。

こうして日本のジュエリーの歴史は始まって行ったのですが
1937年ダイヤモンドを含む宝石の輸入禁止 
1941年~1945年の第二次世界大戦が始まり 
1944年軍需省 ダイヤモンドや貴金属を供出を国民に求める 

戦争で職人や技術の損失がありましたが 戦後はアメリカへの輸出やお土産の販路を見出し我が国の経済成長と共に 真珠専門から 総合ジュエラーと転身し 今日に繋がります
世界で認められる 唯一の日本のジュエラーと呼んでもいいでしょう

御木本翁の果敢な挑戦なしには語れない真珠産業ですが 1996年には生産量150トンを境に 価格が下落し多くの会社が倒産して行きますその後調整期をへて 1975年に36トン前後となり需給の安定を取り戻します 唯 赤潮等の自然災害もあり 現在も厳しい状態が続いています

さらに2008年現在の養殖業者は150程度有りますが その80%は夫婦2人と言う
零細業者です さらには輸入品も多く流通しています 

国産保護と言っても 鑑別書では表示がない(和球と言っても 日本以外の貝 日本の貝を中国で育てる・・・いろいろ有ります) 国内の技術力の開発もさることながら 
これぞ国産と言う製品作りと言っても 加工 染色 調色も有り・・・・・・ 
消費者は性善説の鑑別書を信じるしかない事となりますね!!

人件費の高い我が国ではより手をかければ高価になり売れないと言う実情!! 
大量生産の波に飲み込まれないで行くには課題も多いです!! 
真珠産業を育てていくには やはり消費者 生産者 小売店が 適切な表示と 適切な価格・・・・と言った正しい知識を持つことでしょう!!!

今後も 「ジュエリーのホント」は 少しでも皆さんのお役立っ様に投稿していきます。

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定価 ¥28000

ピアス ¥34000(イアリングに加工 可)

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2009年5月26日 (火)

贅沢とイミテーション!!

坂井素思先生の論文「贅沢消費論」を 読んで感じた事を記事にしました

以前より フランスの国王たちの贅沢政策が御用商人をはじめ 富の庶民への循環を果たしている事や産業育成や都市の整備による 国力アップが今日のフランスに多大な影響を与えている事に驚いていました (我が国では何度も贅沢禁止政策は行われて来ました)

もうひとつ 我が国では 特に「ジュエリー」に関してホンモノとか ニセモノとか言う 業界人 評論家 消費者が多く どうしてこう言う解釈しか出来ないんだろう?と不思議でした

論文の中で 贅沢消費は上の階級の模倣(イミテーション)から始まるということに
目から鱗ではないですが 貴族階級への憧れや模倣が 階級社会を作る事になると言う事なのに 庶民階級が1ランク上の生活全体をイミテーションしていると言う行動は今の時代まで続いているんだなあ・・・と思いました

ルイ14世の贅沢政策 ヴェルサイユ宮殿 工芸品 何十頭の馬車保有・・・・が経済を活気づけた事や ナポレオン3世の毎夜の舞踏会 パリ万国博覧会が多くのメゾン ジュエラーを育成したことが ファッションや観光都市として今日のフランスに生き続けています

論文によると 庶民階級はまず”イミテーション”から始まりますが すぐ下の層には差別化する行動に出るという事です これが 「イミテーション」 「ニセモノ」という我が国の発言の元になる行動様式の様です さらにこの行動様式は下へ下へと反復され 流行現象ともなっていくとのこと  納得!!!です

次に 貴族階級の「みせびらかし消費」も 今日のセレブと同じように 「新しい贅沢を見せびらかす」と大衆がまた模倣(イミテーション)することで消費行動に出る さらにこの行動は下へ下へと繰り返されるということ!!!

1826年にはフランスでは グルメについて「美味礼賛」という本まで出ていたそうです 大阪学という本の中で 大阪が食道楽と言われますが 大阪名物の「たこ焼き」 「お好み焼き」 を食べ過ぎて道で倒れたと言うイメージなってますが 本来は美食家で身代を食いつぶしたという意味です と書かれていました まさに量で満足するというものではありませんね・・・大阪に住む者としてチョットつらいです!!

贅沢の中でフランス国王の労働を してはいけないという決まりから 暖炉の前に座り続け火傷をしたとか・・・・思いもしない贅沢も有るんですね

我が国も 富裕層と言われる方 ”イミテーション”したくなる 贅沢をお願いします 百貨店も贅沢の民主化と言われた時代もあったのです 今一度贅沢を販売して下さい リーズナブルなものへは 逆行してるように思えます

最後に 2009_05215210024 ジュエリーの大半はおしゃれ用です 買う 買い換える 贅沢を楽しんでください!!

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合成宝石と人造宝石のリング

定価 ¥55000

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2009年5月25日 (月)

真珠の加工について!!!

真珠も 製品に成るまで 幾度も加工されています!!

①天然真珠も 皮むき 研磨 切断が行われ バロック真珠は内部に空洞がある場合はワックス 鉛で充填されている物も有ります等の加工

②浜揚げされた真珠は 選別 穴あけ 連組 糸通し と経て製品となる一連の加工

③養殖真珠の球への加工
加湿・・・・温度を加えテリを良くしたり 脱色したりする為
漂白・・・・過酸化水素水などで漂白 シミを抜く (1992年ごろから始まる)
染色・・・・天然及び合成染料で全く別の色にする(アコヤ真珠をコバルト処理するとブラック グレーの色に変わる)
着色(聞こえの良い「調色」という言葉を使う場合が多いようです)・・・・・染色以外の化学物質で色を変えることです
放射線照射・・・・放射線を照射することにより色を変える
以上の加工が単独ではなく 幾つかが組み合わされて使われています

機械化も進み 御木本翁の時代とは 変わっています
海も汚染されたり 養殖真珠も冬も越さずに浜揚げされたり(貝が死んでしまうので) 
輸入品が大量に流通するようななったり ・・・・真珠の質の確保も難しい時代です

さらに性善説の”鑑定書”は 鑑定所の個別判断であり ”花珠”と言われる球も 鑑定所の個別判断であり ましてや染色 着色には幾つもの特許が出ています 業界では自然な事何だと思いました。

そろそろ鑑別の基準を業界でしっかりと決めていかないといけないように思います
マジョルカパールやガラスパール等の 良品人造真珠をニセモノ呼ばわりできませんよ!!

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人造宝石リング

定価  ¥40000

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クロスオーバーで製作されています
後での修理 サイズ直し勿論できます!!

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2009年5月24日 (日)

”ベルギー”と”ダイヤモンドビジネス”!!

ベルギーは地理上 隣国に占有を繰り返し受けた歴史がありまが 1839年ベルギー王国として独立した過程でアフリカ コンゴをベルギー領として 統治始めたころから 
ダイヤモンドとの関わりが深くなって行った様です これによりアントワープの町に加工工場が作られ JEW(ユダヤ人)の家業である ジュエリー(JEWELY)のすべてのの仕事が彼らの手で作られ産業化されて行きました。

(インドやブラジルの鉱山よりアフリカの鉱山のダイヤモンドの埋蔵量が 圧倒的に多いことで1899年~1902年ボーア戦争のイギリス参戦も ダイヤモンドや金の地下資源によるところが多いと言われています)

現在は世界の鉱山で産出されたダイヤモンドは
①デヴィアス本部(ロンドン)に集められ デヴィアスに認められた②サイトホルダーが原石を購入し ③研磨工場で研磨・鑑定が行われ後 ④ダイヤモンド取引所に持ち込まれ⑤ダイヤモンド卸業者から⑥ジュエリー製造者さらに⑦小売業者から⑧消費者の流れになっています。(デヴィアスの管理不能のダイヤモンドも存在します)

ベルギーの輸出の7%をダイヤモンドが占めています ②のベルギーのサイトホルダーが45%~50%の割り当てを受けています ④で輸入原石の85%が再輸出されています
このように アントワープはダイヤモンドビジネスが盛んですが 
それには①ベルギー政府が税制等で優遇している事②ダイヤモンド取引所の4つがあること(世界で16か所)③HRDをはじめ銀行 輸送 研磨機材 警備・・・・・・等全てのインフラが整備されている事  ④アメリカのような独禁法がない事から
世界のダイヤモンド原石の80% 研磨されたダイヤモンドの50%がアントワープで取引されています(サイトホルダーであっても自国の人件費の高いところは自国で研磨を行わない)
ダイヤモンド関連に従事する人口は25000人 内3400人が研磨職人と言われています 30年程前は研磨職人だけで19000人もいたそうですが 現在は機械化が進み生産量は当時より多くなっているそうです。

アントワープの”ダイヤモンド・ランド”では女性全員に0.01カラットのダイヤモンドをプレゼントしてくれるそうです 男性にはベルギー・ビールだそうです ダイヤモンド・メレはビール一杯位な値打ちなんです 宝石質のダイヤモンド以外の一般ジュエリーは 技術 デザイン料のほうが原価に占める割合は高いのです。(技術料も機械と手作りと異なります)

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人造宝石のネックレス

定価 ¥120000

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宝飾技術を使ったクロスオーバーの物づくりです 一度お試しください

 

 

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2009年5月23日 (土)

「ウォルファース」と言う宝石店!!!

”アール・ヌーボー”繋がりで ベルギーの「ウォルファース」についての記事です

1812年にブリュッセルに創業され 1850年ルイ・ウォルファースが会社を設立 ここでは銀製品のみ作っていました 1897年 フィリップ マルク アルベールの3兄弟と従兄のアルバートによってウォルファース兄弟社となり 1892年父(ルイ)の死後は長兄のフィリップがデザイン面を担当します

フィリップ(1858年~1929年)は王立美術学校に学び 1873年のウィーン博覧会 1889年パリ博覧会を見て日本美術に感銘を受け アールヌボーの作品を発表を始めます 
さらに1893年~1905年にアールヌーボー様式の作品カタログを刊行します 作品は花瓶彫刻 ランプ 扇子 ジュエリー・・です 

ジュエリーの特徴は 素材にガラス エナメル以外に象牙が多く使われています (コンゴが1960年までベルギー領だったので) 作風はベルギーのラリックとも呼ばれています様に典型的なアールーヌーボーの作家です

ラリックがジュエリーからガラス工芸品に向かったように 彼も 彫刻の方へとスタンスを移してゆきます 1929年フィリップの急死の後は息子のマルセルが後を継ぎますが彼は彫刻や実用品 皿 花瓶 ・・が多くジュエリーは殆ど作っていません 1950年フレディが後を継ぐも やがてフランスの会社に 吸収されます・・・・ 

アール・ヌボーは短期で終わりますが その芸術性は今なお称賛の絶えない作品が多いのに 作家自身がアールヌーボー後は ジュエリーより離れて行く人が多いのは コピー製品と大量生産に耐えられない 細やかな感性の持ち主だったからでしょうか?

さらに 1914年第一次世界大戦にドイツに占領され 1919年ヴェルサイユ条約で戦勝国としてドイツ植民地を獲得  国語もオラン語 フランス語 ドイツ語と分かれていたり・・・と社会情勢 国内情勢も関係しているでしょうか?

”THE Wolfers Dynasty   From Art Noveau to deco”という書籍も有るようです

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合成宝石(ルビー)リング

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2009年5月22日 (金)

KOTOBANKのコスチュームジュエリーの解釈を見て!!

KOTOBANKのコスチュームジュエリーの解釈は 例のごとく イミテーション 安価 舞台衣装・・・・・と解釈されています

木を見て 森を見ず と言うのか?
物にはピンからキリまで同じ名前で存在します
大きく分類すると ① アクセサリー②コスチュームジュエリー③ファインジュエリーになります 
KOTOBANKの説明されるような品物は①のアクセサリーです
②は人造石 天然石に関わらず 使用価値(流行品)の装飾品のこと (ダイヤモンドやプラチナ使いと言っても工業製品にしか属さない物が近年は多い)
注 リホームというのは流行品であることをある意味証明している事でしょう

③は宝石質のダイヤモンド ルビー・・・等を使った交換価値のある装飾品の事
(ハイジュエラーグラフ JAR に代表される)

時代を考えると シャネル女史のコスチュームジュエリー(ビジューファンタジー)の発表からアメリカ コスチュームジュエリーの女王と呼ばれるハスケルの時代(1930年代~1950年代)が隆盛期とされています(このころの価格は安くはありません)

いつも言いますが このころの我が国はどうだったのでしょう 1940年(昭和15年)を見ますと 電気器具の使用禁止 贅沢禁止令 (贅沢品等製造販売制限規則)が発令されダイヤモンド ルビー 金銀品 象牙製品 50円以上の時計・・・・等が対象でした
イチゴも対象品だったそうですよ!!!

当然アメリカでも統制され 材料には苦心してコスチュームジュエリーを作っています
分かり易く言いますと 映画 「風と共に去りぬ」1945年公開で分かります様に 戦時に映画を作り 女優だけを見ても装飾品が必要だつたと思われます(当然贅沢品です) 
戦地にならなかったアメリカでは装飾品が必要な富裕層が多くいたこともよくわかります。

贅沢禁止令が出た江戸時代でも 木綿の着物に裏地は絹 江戸小紋(遠目では紋が見えない)という隠れた贅沢がありました。

フランスでは ナポレオン3世の贅沢政策やシャネル女史のように「贅沢じゃないお洒落は無い!!」と言う人もいた国と どうも解釈が違ってしまうようです。

無理な消費を進めるのではありませんが 自分にご褒美 旅行用にジュエリーのような言い訳消費だけは やめてください。唯 内需は必要です正しい理解のもと購入ください。

我が国の大半のジュエリーはコスチュームジュエリーであって流行品です 買い替えも必要なのです 洋服に合わせお買い求めください同時に人造石をイミテーションとか模造というのも改めましょう(イミテーションはガラスやプラスチックのように外観だけを似せたものの事です)

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2009年5月21日 (木)

凸凹ジュエリー カメオとインタリオのこと!!

凸のカメオとは 貝殻に浮き彫りしたもの(シェルカメオ) メノウ オニキス など石を用いたもの(ストーンカメオ)に立体的意匠を施しています 用途は リング ネックレス イアリング ブローチ・・・・の装飾品に多く使われています
アクリル樹脂のカメオ風の物はアクリルカメオ 金属をカメオ風(例  メダル コイン )にしたものはメタルカメオと呼ばれています。

装飾品としての歴史は古く 古代ローマ時代のものが発掘されています 近年はイタリア工芸品として作られています 

高価なものは溶岩に掘り出したラバーカメオ や石に掘り出したストーンカメオに多く
さらにカメオにダイヤモンド ルビーで装飾したものは カメオ・アビレと呼ばれ 当然高価なカメオです。

凹のインタリオとは 素材は アメシスト シトリン メノウ 金属 カルセドニーに立体的に人物 紋章の図形を掘り下げた物です

リング ペンダント・・・・等も作られていますが 実用的な 封蝋や印章としての用途のとしてのリングが作られたようです

17世紀にはダイヤモンドにインタリオを施したリングもでてきましたが 高価な事と ダイヤモンドの硬さの為例外的な物でした

1900年のパリ万国博覧会にブシュロンが ダイヤモンドを使ったインタリオのリングを出品し話題となりました しかし多くは製作されていません。

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パターンオーダーの人造宝石リング

定価 ¥35000  納期3週間程度です

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2009年5月20日 (水)

「ヴェヴェール」という宝飾店の事!!

1821年 フランス メッスに ジャン・ポール。ヴェヴェールが宝石店を開業します
その息子エルネストはパリに出て行き 1875年~1881年まで貴金属商組合の理事長を務めました 1878年パリ万国博覧会でエルネストのデザインネックレスが注目されます
1881年にはエルネストは引退し2人の息子に引き継がれます ポールは管理部門    アンリは芸術 技術部門を担当し”ヴェヴェール兄弟社”として活動が始まります

特に”アンリ・ヴェヴェール”はアールヌーボーの代表的作家です
1889年万国博でグランプリを受賞 1900年のパリ万国博覧会でルネ・ラリックとともに称賛されました 唯 アールヌーボーの時代は短く 「ラリック」はガラス工芸に移り 「アンリ」はアールデコへと移りますがその後は 代表的な作品は出てこなかったと言われています。

アールヌーボーはイギリスのアーツ・アンド・クラフト運動の流れを受け継いだもので 素材価値より芸術価値に重きを置いた装飾美術の事です。

素材は 新しく 象牙 動物の骨 ガラス エナメル バロックパール オパール ムーンストーン トルコ石 アメジスト等の半貴石・・・を使い始めた事 デザインは左右非対称なものが多く斬新でしたが 身につける装飾品としてはやや大きると言う点もありました 
しかも コピーの粗悪な物が大量に出回り「アールヌーボー」は短命に終わってしまいました

アンリ・ヴェヴェールは1906年~1908年に「19世紀フランスの装飾品」(全3巻)に刊行しました その中にも時代の特徴が述べられています
”女性のモチーフ” ”動物 昆虫のモチーフ” ”新素材の採用” ”ジュエリーの大型化” ”宝飾品の大量生産”・・・・等です
この出版により”ヴェヴェール”のアールムーボー時代の地位は不動となりました

アンリの死後 見つかった970点の浮世絵からも 日本からの影響を受けていた事と ジャポニズムの唱道者だつたことが窺い知れます

アンリやラリックが作った作品は あくまでも 王侯貴族や資本家向けの作品でした。
アンリは1921年に”ヴェヴェール”を2人の甥に譲り引退します 1982年には解散し現在は存在しません。

アールヌーボーの作品を見ると ”日本”を感じてしまいます 今 欧米で日本食が注目されています 私たちも日本をもっと理解しないとと思いました バレンタイン クリスマス 装飾業界にとって重要なイベントですが 七夕 なんかロマンチックなイベントになるとおもんですが?  

2009_05185180004 MONDIA BIJOUX
人造宝石のネックレス
定価 ¥60000
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宝飾技術を使用したクロスオーバーの物づくりです 一度お試しください

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2009年5月19日 (火)

ダイヤモンドの代替品をニセモノと言うけれど!!

我が国では ダイヤモンドの代替品を ”ニセモノ”と呼ぶ 業界人や一般人の方が多いのですが
物を見るだけで 「使う」 「使う場所 場面」が贅沢という考えがないように思えます

①1760年代に流行った”カット・スチール” 鋼鉄の表面をファセット・カット(多面カット)して 台座につけたり つなぎ合わせネックレス ブレスレットに使用してダイヤモンドの代替品としました 当時の王族も使用したと言われています

②1800年後半から20世紀初頭の人気の”マルカジット”は 黄鉄鉱石を6面体カットして シルバーの台座に 留めてダイヤモンドの代替品としました マーカサイトと呼ばれる場合もあります(当時黒いダイヤモンドとも呼ばるほどの宝飾品が作られたそうです)

③1700年代より広まった ”ペースト” 通常のガラスより屈折率の高い鉛ガラスのことです さらに下に箔を敷くことでより輝きを増しダイヤモンドの代替品として使われました
1860年から1880年はイギリス ビクトリア女王が夫の喪に服したのでジェツトの代わりにも黒ガラスを使用したそうです(産地ボヘミアン ヴェネチア)

この時代は ダイヤモンドがまだ不足していた事と 産業革命 フランス革命で生まれたブルジュア階級の台頭と関係しています それ故まだ これらの代替品といえども 王侯貴族及び資本家の為のジュエリーです 現在もアンティークとして高価なものです。

我が国ではこのころ幕末と呼ばれる時代です 1886年鹿鳴館の落成により一部の人々のジュエリー需要が起こりましたが一般人は関係ない物でした。

1940年代のミリアム・ハスケルのジュエリーも 代替品を使ったジュエリーと解説されている方が多いけれど当時アメリカだけが繁栄し装飾品を使える 国や人が限られていた事を考えるべきでしょう。
当時のプラスチックだってナイロンだって新しく生まれたばかりでした 日本ではセルロイドが使われていた時期です(アメリカはセルロイドの燃えやすさの為に1954年に使用中止していました)

現在のダイアモンドの代替品として キューヴィック・ジルコニア 合成ホワイトサファイヤ
イットリュウム・アルミニューム・ガーネット 合成ルチル 合成ダイヤモンド・・・・・・があり当時より当然進んでいます 唯 名前が同じでも当然いろいろなレヴェルの物がありますので(カット・・・・等)勘違いしないでください

ダイヤモンドも1980年のプラザ合意の円高や オーストラリアでの年間5000万カラットの産出による事 ダイヤモンドのエンハンスメント・・・の加工技術がアップ・・・の事から
1995年ダイヤモンド総需要の32%(アメリカと同じ)
1996年プラチナ宝飾品の総需要57.5tの80%(断トツの1位)を占めるというところまでいったのです 世界のバランスから不自然でしょう もう一度 ジュエリーの知識を再確認ください

いつも言っています様に 我が国の大半のジュエリーはおしゃれ用です 流行によつて買い換えていただきたい製品なのです
MONDIA BIJOUX は人造宝石 合成宝石を使用し宝飾技術だ作製した ファインジュエリーにも負けない  クロスオーバーと呼ばれる作品です どうぞ一度お試しください 

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人造宝石ネツクレス 定価 ¥130000

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2009年5月18日 (月)

[ガラード」という宝飾店のお話

最初は銀細工師ジョージ・ウイックスが始めた会社でしたが1802年ロバート・ガラード・シニアに引き継がれます ロバートの死後は3人の息子 ロバート・ガラード2世 ジェームズ セバスチャンが引き継ぎ店は更なる発展を続けました

1842年に英国王室御用達になり ビクトリア女王から今日のエリザベス女王まで ジュエリーや銀食器を収めています。

有名なのは王冠です ビクトリア女王の王冠から5代続けて王冠を納入しています 勿論儀式で使うジュエリーは すべてガラードによつてつくられ修理等も行う イギリス王室お抱えジュエラーです。

”コーイヌール”と呼ばれるダイヤモンドはインドで発見されたときは 800カラットと言われていますが回り回って1845年にヴィクトリア女王に献上され 女王はブローチに取り付けましたが(このときは108・9カラットになっていたそうです) その後王冠に取り付けられ世にイギリスの王冠のダイヤとして有名になり エリザベス女王の戴冠式の新しい王冠にも取り付けられていますこの作業を行ったのも全てガラードです

チャールズ皇太子からダイアナ妃に贈られた 婚約指輪のサファイヤも 勿論ガラードの作品です。

1998年アスプレイと合併しますがほどなく分離し ガラードとして王室を含む特定の富裕者層の為のジュエラーとして現在に続いています

イギリスは現在も階級社会が続いているのは 遠くは産業革命 近くは第二次世界大戦戦勝国という面もあるように思います 
我が国は農地解放 財閥解体・・民主化という流れが 一億総中流に繋がって来たのですが 
近年 わが国は お金さえ払えばダイヤモンド やブランドを買える時代になりましたが 貴族財の大衆化と言っても 貴族財と同じ物じゃありません 
わが国のジュエリーの大半は オシャレ用 ファションであり 買う 買い換える事が贅沢と言う物です。(一部の財産となる物を除き 貴族だつてオシャレ用と考えているのです)

世の中”ガラード”や”ファベルジュ”の様な王侯貴族専用のジュエラーもあるんです
お洒落を楽しむためのジュエリーを 偽物 本物 止めましょう!!
若い時キザナ感じでも 大人の貴方には素敵です と言うジュエリー・・・・etc
いろいろ お洒落を楽しんでください!!

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オニキスと人造宝石のネックレス

定価 ¥58000 (ブローチとしても使用できます)

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宝飾技術を使ったジュエリーです 大人の方に ご使用頂いても満足頂けるものと考えております 一度お試し下さいませ!!

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2009年5月17日 (日)

”ファベルジュ”という宝飾店!!!

1842年 グスタフ・ファヴェルジュが 帝政ロシア サンクトペテルブルグで創業した宝飾店です
彼の息子 ペーター・カール・ファベルジュ(1846年~1920年)が1870年に店を引き継ぎその後1882年パン・ロシアン博覧会で金メダルを受賞し 賞賛されると共に ファベルジュの名前が広まっていきました。作品は独創性あふれるもので 20世紀初頭のジュエリーの大天才と言われています。(当時のカルティエの作品にも影響を受けたものが数多く見られるそうです)

ただ 彼の顧客限定され ロマノフ王家 貴族 イギリス王室 タイ王室 デンマーク王室に限られ例外的に大富豪のロスチャイルド家 ロックフェラー家が含まれているだけです。

それ故ラグジュアリー(贅沢)な工芸品というべき作品が多くみられます。
また彼の作品に対する価値観は 宝石の価値や地金の価値より デザイン力 製作技術 芸術性 に価値があると言う信念でした 当時理解できるのは当然 貴族階級という事に成らざるを得ない時代でしよう。(今の時代もグラフのように特定の富裕層だけの対象の宝飾店もあります)

有名な作品は イースター・エッグと呼ばれる卵の殻に貴金属宝石でデザインされた物です
最初に作られたのは アレキサンドル3世の妃にイースター祭に王からの贈り物でした
アレキサンドル3世 ニコライ3世の為に約50個画作られたそうです (2007年ロンドン クリスティーズで競売されたものは王侯貴族以外のロスチャイルド家のイースター・ドックであつたが18億円でロシア人に落札されたそうです)

カールは500人の職人を使い彼はディレクター的オーナーの立場で作品を作りました
王族の日常使う置物 カップ 花瓶・・・(当然ルビー等を使って作られています)も多く

ギロッシュ・エナメルと言われるエナメル仕様は神業とも言えるほどの出来栄えです

ニコライ3世の時代は第一次世界大戦後のロシアは疲弊のまっただ中で あの怪僧ラスプーチンが王公貴族に取り入ったと言われる時代で ロマノフ王朝最後の時代でした

1917年のロシア革命後はスイスに亡命し1920年には亡くなっています
(活動期間は約20年程とされています)
その後”ファヴェル”の名での作品はありまん 二度と出ないジュエラーであり 王公貴族時代だから作れた作品も多い様に思います。

現在のわが国のジュエリーの大半オシャレ用です 貴族しかオシャレも出来なかった時代から 皆が楽しめるという製品なんです 本物とか偽物 イミテーションとか言う次元の製品ではありません 楽しんでください。

MONDIA BIJOUXの製品は 宝飾技術で製作しています お修理ももちろんできます
ニセモノとか言われると 啓蒙活動の必要性を感じてしまいます!!

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MONDIA BIJOUX

人造宝石のネックレス

定価 ¥120000

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宝飾技術の作品作り 一度お試しください 

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2009年5月16日 (土)

「お見送りの仕草」で「ジュエリーのホント」が感じること!!

テレビの化粧品会社のCMで深田恭子さんが 店お出るシーンで 両手をお臍あたりで交差させて 腰を折らずに頭を下げる御見送りの仕草の事です。

これはこれで 深田さんも可愛いし ラグジュアリーな消費のあとでの お見送りの仕草で好感を持てるのですが

最近と言っても一年くらい前から ”ユニクロ” ”コンビニ” ”100円ショップ”で 一瞬の事ですが ありがとうございますと言って この仕草をされると 私だけなのかも知れませんが 違和感を感じてしまいます お見送りのマナーがマニュアルになってるのでしょうか?

「コンシェルジュ」も いろんなところで 見かけますが 中には年会費3150円の会費まで要るところさえあります 販売が厳しくなっている状況下 価格下げ さらにサービス強化という点から起こってることだとは思いますが  

本来は ラグジュアリー(贅沢)には コンシェルジュ 接客 お見送り・・のサービスを含んでの価格で販売されているはずです ブログ 「ジュエリーのホント」の”ハリーウィンストンのお話”(最近 訪問者が多いんです)で記事にしたようにラグジュアリーとは?一度見て下さい!!

今まで いや今でも ブランドもディスカウント店 質屋さんのバーゲン・・・でブランドの製品は手にしてもラグジュアリーのサービスは受けていないとか
百貨店の通路の様なブランドコーナー で定価で製品を買ってもラグジュアリーなサービスはありません!!

形から入ると言っても 「ユニクロ」 「コンビニ」 「100円ショップ」で この仕草シックリ来るんでしょうか?
私は 明るく 「ありがとうございました」と腰を曲げて お見送りの方が自然だと思います
似て非なるものや とって付けたような事 我が国には多すぎるように思われます。

ジュエリーだつて 貴族財の大衆化 大量生産 大量販売 という流れの中 1980年のオーストラリアの鉱山から質はともかく年間5000万カラットのダイヤモンドの生産 我が国では1971年変動相場制 1980年プラザ合意による円高 1989年物品税廃止(宝石税率15%)が符合するように ダイヤモンドジュエリーがわが国で大量消費され始めました 

貴族社会での宝石としてのダイヤモンド ハイジュエラー”グラフ”のダイヤモンド 名は同じですが まったく違うものです!!

わが国の大半のジュエリーはお洒落用です 買い換えも必要です!!

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合成宝石と人造宝石のマルチカラーのネックレス

定価 ¥98000

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2009年5月15日 (金)

「鑑定書」 「鑑別書」のホント!!!

以前も 鑑定書 鑑別書について記事を書きましたが少し簡単すぎると言う声もあり
再度記事に致しました。

鑑定書は 基本的にダイヤモンドのみを対象として書かれます
鑑別書は ダイヤモンド以外の色石や パールを対象に書かれます

世界的に信頼のおける鑑定書はニューヨークのGIA(アメリカ宝石学会)とイギリスのFGA(イギリス宝石学協会)と言われています

しかしながら そのGIAの鑑定書にも書かれています様に ”品質の保証をするものであつて 価格の決定や等級を決定するものではありません このレポートを受け取った方は宝飾店 宝石鑑定士のアドバイスを求められる事をお勧めする・・・・”となっております。

わが国では 鑑定書が付いていれば 大丈夫という消費者の方が多く 性善説の上で書かれている鑑定書や鑑別書は公的機関のものでもなく 鑑定士も民間資格です 悪意でないのなら罪には問われないと言うことです 
鑑定士も専門学校を出たからと言って勤まらないのは他の仕事と同じですが 肝心な宝石質のダイヤモンドや色石を見ること 触ることができないのが一番の問題だとも思われます( 鑑定に人造宝石を用いているところも多いそうです)

さらに 天然石にエンハンスメント(改良)やトリートメントと言って放射線 高圧処理 熱処理・・・・石の改良がおこなわれた物も多く 高圧処理などアメリカの持ち込まなければわからないとも言われています これらの処理石は一般人が見ても 判別不可能です。(最近は 鑑定書や鑑別書にエンハンスメントと記入するところは多くなつていると思います)

Cのカットも 原石1カラツトであれば0.5カラツトになるのが一般的ですが 中には歩留まりを上げた物も多く存在すると言われています(オールドカットの物とは意味合いが違います)

パールには鑑別書がありますが 世界的な取り決めもないので 鑑定所が独自で書いているのが実情です まして輸入パールが増えているので より規格が必要でしょう
(輸出されるパールには厳しい規格があるようです)

人造宝石 合成宝石をニセモノと呼んでいいんでしょうか?

ホンモノというなら 天然無処理宝石を呼ぶべきでは?

わが国には天然目処理で宝石と呼ばれる石はほとんど入荷しないといって言いと思います。(交換価値と言われる宝石は 欧米 中東 で購入する人が多い為と 我が国の購入する人の少なさによる事で入荷が少ない)

”オーレンス・グラフ” は宝石を見る第一人者でしょう 職人から登りつめ妥協を許さない彼の眼は 世界の富裕層から信頼を受ける程です。

結論的には 我が国のジュエリーはオシャレ用が大半ですので 鑑定書も鑑別書も必要ないのでは?と思います

パベセツティングのメレダイヤの製品に鑑別書も必要ないと思います しいて言えば保証書くらいあれば2009_05145140006 と思います。

MONDIA BIJOUX
マジョルカパールと人造宝石のネックレス
定価 ¥93000

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一度お試しください

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2009年5月14日 (木)

「カステラーニ」のお話!!

イタリヤ人”フォルチュナート・ピオ・カステラーニ(1794年~1865年)が 1910年代にローマで宝飾店を開きます 最初はイギリス フランスの旅行者向けの製品が多かった様ですが1920年代半ばに著名な考古学者セルモネタ侯爵との出会いにより 
古代の出土品をテーマしたジュエリー造りへと転換していきました(ブルガリも当初は骨董店で お土産的な製品を販売していた)

考古学主義(ヒストリシズム)のジュエリー製作で最も苦心したのは 
古代の金製品の技術 粒金(グラニュレーションやフィグリーの技法)です
当時の技術を取得する為に職人を探したりと 試行錯誤の上取得しています。
(現在は 三代目のアルフレッド代でカステラーニ一族は絶え店も 技術も伝承されていません)

ファルチュナートの2人の息子が跡を継ぐが 長男は後にパリに店を出しナポレオン3世に作品を買い取ってもらったり フアルツチュナートの弟子であるカルロ・ジュリアーノとイギリスにも店お出すという才覚に長けていました。
(後に二人は仲たがいしますが ジュリアーのはイギリスで認められ宝飾店を出す程になって行きます しかし ”ジュリーノ”も2代で終わりカステラーニの技術は伝承されなかつたそうです)

ローマの”カステラーニ”は弟のアウグストに引き継がれさらに息子のアルフレッドにと引き継がれますが 三代目以降の後継者がいない事で 古代の遺品 カステラーニの代々作られた複製品 資料・・・・・等がローマの美術館 ヴィラ・ジュリアに寄贈され幕を閉じました

ヒストリシズムのジュエリーはローマに留まらずギリシャ ビザンチン 南ロシアのスキタイ・・と範囲を広げて 作られています また最初に刻印を打ったジュエラーでもあり

カステラーニは卓越した技術で近世のジュエリーに先鞭をつけたと言われています

或る説明を読みますと カステラーニは摸作です!! とか 技術の伝承もしない頑固な職人!!とか書かれている方がいます

ジュエラーはある意味 稼業です 信念やレヴェルが保てないなら 止めるというのも大事な決断だと思います

摸作とおっしゃるが!! 復元することはどんなに大変でしょう 奈良の壁画では有りませんが技術が伝承されていなければ 試行錯誤の連続です 作品の感動を考えるべきで摸作だとか言葉が違っている様に思います

ハイジュエラーの過去の作品が復刻版やスモールサイズで出ているのは平気なようです 多くのハイジュエラーも創業家とは関係ない ファンドがスポンサーのところが多いから 
「グラフ」 「JAR」の迫力が感じられないのではと思ってしまいます。
(グラフやJARは古い技術を持つた職人を探し出し作品の完成度を高めています)

木を見て森を見ない評論家の方が 偽物 本物とおっしゃるようです!!!

わが国のジュエリーの大半はオシャレ用です 流行 服装に合わせ使って頂くものです。

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人造宝石ネックレス

定価 ¥200000

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2009年5月13日 (水)

”スキャパレリ”のお話

”エルザ・スキャパレリ”は 1890年イタリアローマに生まれ
1941年ロンドン遊学中に知り合ったケルロル伯爵と結婚し後にニュヨークにへ渡るが
離婚し 第一次世界大戦(1914年~1918年)後の娘と共にパリに移住する 
この後 デザイナー「ポアレ」に才能を見出され支援を受け これを機にデザイナーとして出発し1925年に店をオープンし 1927年にコレクションを発表 
1930年”エルザ・スキャパレリ”のブティックをオープンさせる 
1935年には メゾン「スキャパレリ」をオープン 当時の著名の映画女優 舞台女優に絶賛されます。

彼女は”シュールレアリスト”の「サルバトール・ダリ」 「ジャン・コクトー」・・・彫刻家の「ジャコメッティ」との交流があり アートとモードの融合をさせた最初の人とも言われています。

有名な「ショッキング・ピンク」を始め独特の派手目と言われる色使いに特徴があり 肩幅が広くウエストを絞ったシルエットの作品を発表しています
1930年頃より コスチューム・ジュエリーを作り始め トータルファションを提案しました
1930年代後半にはジーン・シュランバーゼーをデザイナーに加えコスチュームジュエリーや付属の担当者にしています(後にアメリカに渡り ティファニーのカスタムジュエリーデザイナーとなりました)

スキャパレリは第2次世界大戦(1941年~1945年)が始まるとアメリカに渡り ニュヨーク支店を開く
1949年 販路拡大の為 コスチュームジュエリーをライセンス契約し 自身はブランド管理にまわリました。
パリのメゾンは1945年再開されるも1954年のコレクションの発表を最後に閉店され 引退しました。

彼女はライセンス生産された商品のタグに「パリでデザイン アメリカ製」と書かせたそうです どうすれば自己をアピールでき 巧みに市場に合わせる経営戦略まで考えています 女性の自立が始まったばかりの時代に シャネル女史といい 経営まで考えた戦略には脱帽するばかりです。
彼女のメゾンからピエールカルダン ユベール・ド・ジバンシーが巣立っています

「ジュエリーのホント」として 一言
「コスチュームジュエリー」からティファニーのデザイナーになつたシュランバーゼーの様な人もいれば 「ハイジュエリー」から「コスチュームジュエリー」に移った人も多い時代です

戦争中 戦後と使う素材も変わります 購入者も 貴族 資本家 大衆と変わっています
素材だけを見て 模造 イミテーションとか ダイヤだったら何でも本物!! 
こんな解説もう止めましょう 我が国のジュエリーの大半はオシャレ用です 
100年前は貴族しかオシャレを楽しめなかったのです オシャレをどんどん楽しみましょう!!

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合成宝石(ルビー)ネックレス

定価 ¥55000

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2009年5月12日 (火)

「ガゼット・デゥ・ボントン」て何のこと?

”リュシアン・ボージェル”が パリで1925年に創刊した 上流階級向けの教養婦人雑誌の事です 第一次世界大戦を挟んでの休刊はありましたが1925年まで刊行されました。

「Gazette du BON Ton」は 上品で美しい雑誌という意 副題「art,modes et frivolites」は 芸術 ファションと夫人装身具と言う意です

内容は 当時の上流階級へのファシヨン誌という事のようです。
当時の一流のオートクチュールのデザイン画が 一流のイラストレータによって描かれています限られた人々に向けた雑誌です。

ポール・ポワレ ジャンヌ・ランバン マドレーヌ・ヴィオネ・・・当時の錚々たるクリエターのなが 連なっています  帽子を被ったり ターバンを巻いたデザイン画多いことから当時の流行も良く分かります。

まさしく ”オシャレ”や“贅沢(ラグジュアリー)”は 上流階級だけだつた事が 形で表わされています。

購読料は当時100フランということです 特別に漉いた厚手のコットン紙に ボショワール(1900年代初めより1930年代まで続いた手彩色技法で制作された版画)の画は美術品と見られるレヴェルです(古本屋さんも絵として販売しているようです)

イラストはジョルジュ・ルパップ やポール・イリーブ マルティ バルビエ・・・・等 当時の一流の作家が担当しています
(1920年~1925年はアールデコで埋め尽くされています)現在でも 過去のあらゆるファション誌を含めても 最も美しくハイクオリティの雑誌として認められています。

過去の貴族社会の作品 技術が今さらながら素晴らしいと認めるのは
現在の 芸術品でもない 工芸品でもない工業製品が 満ち溢れている状況から生まれてくるのでしょう

ホンモノ ニセモノ こんな論議をするほど 我が国の大半のジュエリーは レヴェルを超えていないように思います オシャレ用なので楽しむものです どうぞ今日からオシャレ用として お使い下さい 買い換えも必要なものでもあります

シャネル女史の恋人のウエストミンスター公爵など 自分の財産が数えられない程だったそうです。上流階級も 上お見たら切りのない世界だと思います。

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合成宝石(エメラルド)のネックレス

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2009年5月11日 (月)

「アーツ・アンド・クラフツ」運動てなんですか?

イギリスのウィリアム・モリス(1834年~1896年)が主導した 美術工芸運動です

ビクトリア女王の時代の産業革命は 大量生産による安価で粗悪な商品を生み出した事に対して モリスは中世の手仕事に帰り 生活と芸術の統一を 唱へ運動しました。 
さらに モリス商会を設立し 装飾された書籍インテリア製品を製作 販売を行いました。

この運動は イギリスでは短期間で終わりますが その流れはフランスのアールー・ヌーボーへ 形を変えて引き継がれていきます。

イギリスは産業革命の前に 農業革命と言われる効率の良い農業へと転換しました 
これにより 自営農から小作人へと労働者をシフトし 産業革命は 工場労働者を増やす
事となり イギリスの階級社会も出来上がることと繋がって行きます
(共産主義の考え方もこの頃生まれたそうです)
(粗悪な製品は 植民地政策に使われ 原料調達以外の消費の役割にも使われた)

イギリスは この時代はエドワーディアン(1880年~1914年)といわれる時代でもあり 
プラチナを使った繊細で美しいジュエリーが盛んな時代で 華やか王侯貴族の最後の時代ともいわれています(ハイジュエラーのカルティエ ブシュロンの代表作と呼ばれる作品もこの時代のものです)

この頃は ジュエリーも機械化されて作られ始める時代ですが まだ資本家が新しい顧客として加わるだけで 一般大衆が購入するものではありませんでした。

大量生産が全て粗悪品という訳ではありませんが ジュエリー職人を含め優秀な職人が職を失った事実と 技能の伝達ができなかったという現実は現在まで続いています。

”モリス”が生きていたら 我が国の大半のジュエリーに対して「アーツ・アンド・クラフツ運動」を起こしていたのでは?  
大量生産 大量販売が 階級社会を作るなんて? 安いから良いと言う訳にもいかないようですね。

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定価 ¥120000

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2009年5月10日 (日)

”ルネ・ラリック”について!!

アールヌボー アール・デコの両時代に活躍した “カリスマ・デザイナー”です

ルネ・ラリック(1860年~1945年)はフランス シャンパーニュ地方の村に生まれたが
パリで育ち 1876年 パリの装飾美術学校に入学し夜学に通い 昼は金細工師ルイ・オーコックところで修行しました 1978年イギリス ロンドンに渡りサイデナム・カレッジで学びます
1980年にパリに帰り デザイナーとして活動を始めます 作品はパリの宝石店に販売しました(オーコック ブシュロン ヴェヴェール等に販売したと言われています)

1885年工房をヴァンドーム広場に構える 当時の大女優サラ・ベルーナールも顧客だつたそうです 
1897年レジオン・ド・ヌール勲章を受章 
1900年パリ万国博覧会ではアール・ヌボーの代表的「ジュエリー・デザイナー」と認められ注目と名声を得ました

彼のデザインしたジュエリーは奇抜 斬新と言われますが 素材は ガラス エナメル バロック真珠・・・等を使用し素材が高価 安価かは 眼中になく作品づくりを行っています。
天才と言われるジュエリー作品も1910年頃には ガラス工芸家へと軸足を移していきました。 理由は 彼のコピーが出回ることに失望したのではと言われています。

それ以外にも 第一次世界大戦(1914年~1918年)も 貴族社会の没落 世界大恐慌(1929年~1933年) 第二次世界大戦(1937年~1945年)の社会情勢による理由も大きく影響を与えたと思います。

1908年ラリックはコティの香水瓶とラベルのデザインを行い 瓶と言うより作品として世間から評価されたことで 1912年宝飾品の展示会を最後にガラス工芸作家として専念していきました。
1925年パリ現代装飾美術・産業美術展では ラリックの為に1つのパピリオンが与えられた程でした ここでのガラスの工芸作品はアールデコを代表するものとして 評価されています。

1922年にアルザス地方に建設された ガラス工場(機械化された)はラリック社として現在も残っています。(わが国にも美術館がおおくありますが ジュエリーは少ないようです)

さて此処で ”現代のラリック”と言われる ”JAR”にも共通する点があります。
素材 地金 が高価だとか 安いとかにとらわれて作品を作ってはいません!!

我が国のジュエラーやジュエリー評論家の大半の方は 素材が ニセモノ 模造・・はコスチュームジュエリーとかの解説が多いのですが
「JAR」 「ラリック」の作品は コスチュームジュエリーですか?ニセモノですか?

木を見て森を見ないとも言えます!! 
ジュエリーも機械化で作った物は嫌な富裕者が存在しているのです!!
人と同じものは嫌 芸術性のある物・・・いろんな贅沢があるんです
世界は広く ジュエリーは我が国では30年程の歴史と言っていいくらいです
ダイヤモンドも1980年以降大量に産出されるオーストラリア産ものと ”グラフ”クラスのダイヤモンドもあるんです。 
消費者の方は知識と歴史をもっと見て下さい!

結論的に言えば 我が国の大半のジュエリーは 「オシャレ用」です!!

MONDIA BIJOUXは 宝飾技術の物づくりを 行っています 是非オシャレに取り入れて下さい 知識も「ジュエリーのホント」も参考にして下さい。

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MONDIA BIJOUX

人造宝石 パベセッティングのネックレス

定価 ¥98000

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2009年5月 9日 (土)

「ジュエリーのホント」の事!!!

本日はテーマを絞らない全体的な記事を書きます。

「ジュエリー」 「宝石」 「オートクチュール」・・・は 王公貴族だけに認められた贅沢でした
自動車だって アメリカのフォードが 大量生産 大量販売を初めて100年程ですが さらにGMの自動車のモード化によつて アメリカの自動車王国は続いてきました。
(アメリカの自動車産業も今やご存じの状態です)

フォード以前は ヨーロッパの王侯貴族の娯楽として 自動車があり ヨーロッパに 高額なスポーツ車が多いとか 有名レースがヨーロッパで行われるのもその名残であるということです。

企業として 売上拡大とは 大量販売のターゲットは ”大衆”です 民主化により 買うことができるのであれば 誰でもジュエリー だつて買える時代です。

「ブランド」 「ジュエラー」と言っても 一部の富裕層だけではなく 限定品という名の量産品を大衆に販売し 利潤をあげなければいけない時代です。

「ブランド」 「ハイジュエラー」といっても資本は ファンド的なところも多く 
創業者 中興の祖と言われる人が居なくなったジュエラーは 歴史をバックボーンに 製品の流行化 買い換え促進 と売上拡大に向かって進んでいる様に思います。

オーストラリアの鉱山で1980年5000万カラットのダイヤモンドが生産される時代と
生産が拡大したとされる1879年に200万カラツトを超え ようやくダイヤモンド不足が解消されたと言われていた時代のダイヤモンドと一緒だと思いますか?

ダイヤモンドのデザイン 技術も 王公時代の作品が一番良いとされるハイジュエラーも多く 機械化では出来無い職人の技術もその時代に出来た物も多く職人も少ないと言われています。

職人の技術を大切にしてるジュエラーは 代表的なところは”JAR”と”グラフ”と言われます 素材やデザインを生かす技術に妥協しない オーナーが経営しているところだけになっているのでしょう ともに最高峰のジュエラーです。

結論を申し上げますと 我が国の大半のジュエリーはオシャレ用とお考えください
貴族しか許されなかったオシャレを楽しんでください

ホンモノ ニセモノは論外です!!
大半のダイヤモンドジュエリーは 100年前の感覚で言えば”ファスト・ダイヤモンド・ジュエリー”と呼ぶものなんでしょう!!

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MONDIA BIJOUX

人造宝石のパターンオーダーのリング
(約5カラット)

定価 ¥55000

納期 30日前後となります

MONDIABIJOUX通販からオーダー下さいませ

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2009年5月 8日 (金)

ポール・ポワレについて!!

ポール・ポワレ(1879年~1944年)パリの代表的なオートクチュールデザイナーです

彼は ナポレオン3世の妃ウィジェニー皇后の御用達デザイナーの”ワース”のメゾンで働いた後 独立して店お開きました。(ワースの時代の顧客は王侯貴族だけです)
ポワレやワースの時代は オートクチュールが一番輝いていた時代(最後の貴族文化の時代)でした。
(ワースは貴族がメゾンへ出向いてオートクチュールを注文するスタイルを作りました)

ナポレオン3世の贅沢政策や 地下鉄が開通する 自動車が走り始める 1900年のパリ万国博覧会の成功と パリが熱気にあふれる時代です。

ポワレの コルセットを使用しない新しいモードは革命的で 花の刺繍で飾られたチュニックドレスに見られる「飾りのデザイン」はデザイン界の王とも呼ばれるに相応しい作品でした 
コレクションもトータルファッションで提案し 各アイテムにグリップ(商標)を始めて着けました 同時に 香水も発表し 後のデザイナーも香水発表する先鞭をも付けました
シャネル女史よりやや年上ですが 「ブランド」というコンセプトは彼のほうが早かったようですし ブランドビジネスの形を作ったとも言えるでしょう。

彼は「シャネル女史」のように”ビジューファンタジー”を独自で発表するのではなく 御用達ハイジュエラーの分野までは進出しなかったが 作品にパールの装飾品は多く用いました。

ポワレは次の時代の顧客は アメリカであるという先見性はありましたが 1913年にアメリカに渡り ポワレデザインのコピー商品やポワレの商標の付いた見たこともない製品を目にし 帰国後は逆に オートクチュールを守る会を結成し意匠権の保護に立ち上がリました。
(シャネル女史の考え方だけは モードが早く終われば 新しい作品が売れるというスタンスで他のメゾンの考え方とは事なっていました)

ポワレの貴族的な美意識では アメリカは理解でき無かったということです。
我が国の大半のジュエリーを見てもポワレは 理解できないと言ったかもしれません?

シャネル女史だけは 流行が終われば 新しく購入してもらえるから良いかも?
でも消費者が 財産的だとか本物だとか言ってると次に購入するのはいつになるの?
と 言ったかも知れませんね?

大半のジュエリーは”コスチュームジュエリー”と呼ぶもので 流行品です モードに合わせ買い替えて下さい。

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MONDIA BIJOUX

人造宝石ネックレス

定価 ¥120000

MONDIABIJOUX通販販売中

クロスオーバー(宝飾技術)で製作しています 一度ご利用ください

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2009年5月 7日 (木)

”スタンレー・ハグラー”のコスチューム ジュエリーについて!!

「ジュエリー界のピカソ」と呼ばれる程の才能と製作手法で素晴らしい作品が多いとされるアメリカ人デザイナーです 今でもビンテージとして高い人気があります

活動期間は1953年~1996年です 1940年代後半しばらくミリアム・ハスケルの工房に在籍していました また ハスケルより独立したデ・マリオとも親交があり 後に共同で事業を行う話があったと言われている。

ハスケルの芸術性や作品作りの影響を 最も受けたと言われる世代のデザイナーです
富裕層や著名人を顧客とし 素材にこだわり 製作も手作業でワイヤー留めを使うとか  ハイジュエリーにも負けないジュエリーを作るという信念の基 作品が作られています。

50年代にウィンザー公爵(王位を捨てた恋で有名な公爵 カルティエのパンテールブローチも有名な話)が夫人に ハグラーのバングルを送ったと言われています。

第二次世界大戦後は それこそ大量販売の為の大量生産が始まった時代すが
戦時中 ジュエリー工場も軍需工場として接収され 素材も制限されていました
こういう時代でも ハスケル ハグラー達はガラスパールもベネチアから取り寄せる 地金も合金を使う・・・等 最善の努力で素材集めを行い それを 宝飾技術を駆使して作品に作りあげています。

こういう時代が去り  大量生産されたコスチュームジュエリーが出てきます 
しかし1950年代より現在に続く「ブランド」も残っていますが アクセサリー・レヴェルの製品が多い様に思います それゆえかビンテージの人気は衰えません。

コスチュームジュエリーといえば フェイク 模造 イミテーションと我が国では 解説する方ばかりのようですが 

顧客を考えても そんな考えが通用しないことが お判り頂けると思います
一部の富裕層はどんな時代でも オシャレをしたいのです ジュエリーも材料以外に原価には 職人の手間賃も入りますので 安くはなりません!! 
高額で購入する顧客がいるから ハスケル シャネルも存在するのです!!
ハイジュエラーとして名高い”グラフ”も顧客がいるから存在するのです!!

”ジュエリー” ”オートクチュール”は貴族のみが顧客の時代から 資本家 大衆と広がってきましたが その形は今でもピラミッド型になっています(一部の富裕層向けと大量の大衆向けです)
お洒落は王侯貴族だけのもので 大衆は単なる衣類や宗教的装飾品しか着けなかったのです 率直に言いますと 現代は お洒落の大衆化という時代です 
コスツームジュエリーを ニセモノ フェイク 模造・・・と呼ぶものでは有りません!!
付け加えれば 我が国のジュエリーは大半オシャレ用です  
価格に関わらず ”買い換える” ”買い換えられる事できる”が贅沢です!! 
そうした着こなしが オシャレなんです!!

コスチュームジュエリーが人気があつた1950年代 我が国では”たまご”が高級品で 
ほんの一部の方がオシャレをしていた時代です 解説なさる方も ”物”だけ見ないで  歴史  背景を考えて解説お願いします

お洒落を楽しんで この不景気風をふっ飛ばしましょう!!!

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MONDIA BIJOUX

人造宝石ネックレス

定価 ¥110000

ピアス ¥35000 

MONDIABIJOUX通販販売中

宝飾技術と人造宝石のクロスオーバーの作品をお試しください

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2009年5月 6日 (水)

ジャッキースタイル2!!

ジャクリーン・ケネディ・オナシス(1929年~1994年)
ニュヨーク生まれ  ヴァッサー大学からフランス ソルボンヌ留学 
ジョージ・ワシントン大学卒業 新聞社入社~ 
1953年ジョン・F・ケネディ上院議員と結婚
1961年夫 ジョン・F・ケネディが大統領就任する事により アメリカ史上最も若いファーストレディとなる 
1963年ケネディ大統領が暗殺される 
1968年海運王アリストテレス・オナシスと再婚する 1975年オナシス死去  
その後WD社編集人 1994年ジャクリーン死去

1961年~1963年のファースト・レディの時代 彼女が ファションをリードしていたと言って良いほど 雑誌のカバーを飾る パパラッチに追われる・・・・等 気品に溢れる彼女の着こなしは 女優やセレブとは全く違うものとして 国民の憧れの的でした。

彼女のフランス留学によるものか シャネル ジバンシー カルダン 等のオートクチュールメゾンの衣服を好んで購入しました その事は アメリカ製品では無い! 高級過ぎる! と国民の支持が得られないというアドバイスもあり アメリカ在住のフランス人デザイナー オレグ・カシーニの洋服を着たり 装飾品は あの有名な人造パールを わざと使ったという説もあります。

モードとして 考えてみますと1950年~1960年は戦争も終わり
華やいだ環境が戻ったことによる オシャレに対する関心も非常に高くなってきた時代です 
当時のモードはシャネルを代表するように働く女性をイメージしたシンプルなものが多く それには ボリュームのある装飾品が必要だったからだと思います。

1960年当時 欧米で人造パールは大流行だつたそうです
1959年のピエール・バルマンは「オーシャンパール」としてあえて 黒のパールを発表した程でした
我が国で ”フェイク” ”イミテーション”と よく言われる有名なパールネックレスは 
流行を彼女流にアレンジしていた事であって 安物を着けてるという意識はまったく無かったと思いますし 当時としては高価なものであったと思われます
当時 我が国は ”卵”が高級品で服装 装飾にお金をさけるのは極々一部の人です 
「50年もたっと 勘違いするんですか?」と 申し上げたい方が多い。

ジャッキースタイルは 活動的で有り 理性のある着こ無しで(場所を弁えた)
持ち物は一流好み 装いと装飾品のバランスも素敵で 最新ファションを着こなす 女性であり 母であつた・・・彼女の生き方のスタイルの総称だと思います。

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MONDIA BIJOUX

合成宝石と人造宝石のネックレス

定価 ¥110000

ピアス ¥19000 (イアリングに加工できます)

宝飾技術を使った(クロスオーバー)作品です MONDIABIJOUX通販ご利用ください

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2009年5月 5日 (火)

”王子と乞食”とジュエリーのホント!!

今日は”子供の日”です
昔読んだ ”王子と乞食”を「ジュエリーのホント的」に解釈します。
1881年アメリカの作家「マーク・トゥイン」によつて書かれた児童文学作品です
舞台は1537年のイギリスで 当時のエドワード6世(在位1547年~1553年)をモデルにして書かれたそうです 16世紀のイギリス世情をよく表していると言われています。

作品が 発表された19世紀末~20世紀初めは イギリスが最も繁栄した時代で貴族文化が華やかな時代です アメリカ人として皮肉も込めて書いたのではないかと言われますが それはアメリカは貴族のいない国だつたという事と無関係ではないでしょう。

19世紀末は長く続いたヴィクトリア女王から 作品の王子と名前が同じ エドワード7世の時代へ変わる時代です

このころは ジュエリーが一番輝いたとされる ビクトリアン エドワーディン時代です ハイジュエラーの代表作もこのころ作られたものが多いと言われます。

日本とイギリスの関わりあいは 1862年のロンドン万国博覧会に出品 1885年に在日オランダ人が開いた「日本村」と 当時日本ブームが盛んであったそうです またジュエリーの修行に職人がイギリスに来ていたそうです その影響はエイドリアン時代のプラチナ使用が今に日本で続いているという点に見られます 欧州では30年間で終わり 主力はホワィトゴールドに変わりました。(島国の情報不足と言われています)

前置きが長くなりましたが ”王子と乞食”で感じることは

①人は見た目で判断されるという点
②乞食の格好は 町中を 貴族が歩くには安全である点
デザイナージーンズもセレブの 町歩き(安全)のため作られたということ
ペンダントのチェーンは カンのところで切れやすくしている事(引っ張られても安全)
③言葉づかいで階級が分かる事 其れにより王子は助けられ 乞食の少年も牧師の教育で 言葉を知っていたので王子として振る舞えた事。
④階級社会では 貴族しか装飾品は着けていなかった事。

この事実は たった120年程の前の事です その後 第一次世界大戦 世界大恐慌 第二次世界大戦と続き 戦後ジュエリーの大衆化が欧米で始まります(洋服は既製服) 
コスチュームジュエリーがイミテーションだとか言う方が 我が国には多いのですが 
わが国では戦後十数年 ”卵”ですら高級な時代だつたんですよ。

現在のジュエリーは流行品と呼ばれるものが大半です 上から目線の”イミテーション” ”摸造”・・・ よく考えてみてください!! 
トラヴェル用にトラヴェルジュエリーとか わが国にだけ有りますが
これは何度も言いますが”カテゴリー”ではなく“商標”ですよ!! 
婚約指輪 月給3か月もコマーシャルなんです!!
自分にご褒美とか 言い訳消費も止めましょう!!
もっと ジュエリーの知識を持ちましょう 大抵はオシャレ用なんです!!

ジュエリー(モード)は流行に合わせ使い 買い替えて使うこと それが贅沢なん事なんです!!! 

2009_05025020020MONDIA BIJOUX

合成宝石(ルビー)と人工宝石のネックレス 

定価 ¥200000

ピアス ¥48000 (イアリングにも換えられます)

MONDIABIJOUX通販で販売してます

送料 手数料は無料です

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2009年5月 4日 (月)

”ユージーン・ジョセフ”について!!

アメリカでの”コスチュームジュエリー”の立役者としての「ユージーン・ジョセフ」を もう一度詳しい記事にします。

1905年シカゴに生まれ 成人となりジュエリーデザイナーとし道を歩もうとしていた頃を 折から不況が始まります。(世界大恐慌 1929年)

1927年 彼は 不況の影響が少ない ハリウッドの映画産業を開拓しようと 拠点をロサンゼルスに移します。
ハリウッドで作品提供が始まって間もなくの 1934年「THE Affairs of Cellini」の装飾品の時代考証の酷さを 衣装担当デザイナー”ウオルター・ブランケット”に訴へ 装飾品の時代考証と製作を任される事と成ります。

「スター誕生」 1939年作「風と共に去りぬ」 1942年作「カサブランカ」 「イースターパレード」 「雨に唄えば」 「クレオパトラ」 「マイフェアレディ」・・・・・・・に作品を提供しました 予算の少ない映画には 手持ちの時代別の装飾品をレンタルしていました(レンタルと言う方法も彼が始めた事です)

映画での装飾品としての時代考証以外にも 映画の中でより良く表現する為の努力も惜し見ませんでした ”ロシアンゴールドプレート”も ”金色”がライトの光の中 いかに表現するかという課題を 克服する為にメタル素材をマット仕上げ(艶消し仕上げ)を施しました。

さらに 女優が映画の中だけではなく プライベートで身に付けるように成ると その人気に火が着いていきます 彼は「ジョセフ・オブ・ハリウッド」のブランドで コスチュームジュエリーを製作して一流店で販売することによって企業家としても大成功を収めます。

しかし1948年に飛行機事故で43歳で亡くなります その後妻 ジョーン・キャッスルによつて引き継がれています。 ブランドとしては現在も残ってはいます。

彼の アメリカのコスチュームジュエリーへの貢献は多大なものが有りました。
同時に彼の経営者としての 着眼点 会社の拡大方法 合理主義・・・・この不況と呼ばれる我が国で 見習うべき点が多々あるように思います。

しかしながら1929年~1945年は 世界大恐慌 第2次世界大戦の真っただ中 こんな時期に映画を作ると言うエネルギー当時のアメリカの国力を感じます

「映画女優が 使ったとか」 「有閑マダムが 使った」 フェイクの 模造のとか・・・コスチュームジュエリー・・・等の訳も分からない解説も良く見かけますが

この当時 シャネル女史も店を閉めていたくらいで お金が回っていたのは アメリカだけなんです ドイツのユダヤ人政策により 多くのジュエリー職人はアメリカに移動して行きますし
アメリカ自体は戦場では無いので 映画女優や一部の人々にとつてはジュエリーは必需品でしたし また国の政策で 金等の金属使用も制限があり それゆえ値段は高いけれど素材は人造という場合もあります 
戦後(1947年~)粗悪な物も出てきますが それだからと言って フェイク 模造と・・・と決めつける事に疑問を持ちます 
我が国がそのころどうだったか?考えれば御わかりになると思います。 

1950年代より パリのメゾンも プレタポルテ(既製服)ジュエリーのブティック部門(低価格ライン)の製造に入り 現在ジュエリーもさらに 2極化に入っていると言われます
上のランクのハイジュエリーなど雑誌以外で見ることは一般的にはかないません!!

知識 歴史知らないと”大変な事になりますよー!!”とどこかで聞いた台詞が出てきそうです

MOND2009_05025020015_3IA BIJOUXどうぞ一度ご利用いただければお判り頂けると思います    

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人造宝石ネツクレス

定価 ¥130000

ピアス ¥38000(イアリングに加工できます) 

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送料 手数料は無料です

”グラフ”にも負けない!!    チヨット 言い過ぎでした!!

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2009年5月 3日 (日)

”JAR”て誰ですか?

「21世紀の最高のジュエリーデザイナー」 「カリスマデザイナー」と呼ばれています。
その割に JARが知られていないのは?
彼自身が あらゆるマスコミを嫌うという理由と 一般的には 彼の作品を目にするこ事さえできないと言う事情があります。 特に我が国のジュエリー業界 マスコミ界共に ”ホンモノの定義”が違うようです 取り上げる事も稀です。

JAR(Joel Arther Rosenthal) 経歴も生年月日も詳しくは解りません
ニュヨーク生まれで ハーバード大学で美術史と哲学を学び ローマのブルガリに入社し数年勤務したのち 1977年パリのヴァンドーム広場にビジネスパートナー「ピエール・ジャネット」とジュエリー ブッティックをオープンし 現在に至っています。

その店は 宣伝もしなければ ショーウインドーもない 完全予約制のお店で 顧客が訪れた時のみ入口のドアが開くそうです。
JARの作品は 「お金を積んでも買えるものではなく」 「作品が客に似合わないと思うと 販売さへ行わない」と言った徹底ぶりということです。

その為オークションは注目されます 2600年の「エレン・バーキンのジュエリーのオークション」はJARのジュエリーが17点も出品されるので 大変盛り上がり高値で落札されて行きました この大量な出品はバーキンが 離婚した前夫からプレゼントをオークションに出したという理由からで 普通は年に1~2点出品されるかどうかというのがJAR作品です。
しかし 個人的に親交のある”バーキン”は どうしても手放せないJARのリングがあり 其れだけは出品しなかったそうです。

作品は パベセッティングされた作品が有名ですが 留める爪を徹底的に小さくし 素の繊細さは目を見張る作品です(写真でしか見たことありませんが素晴らしいの一言です)
植物や動物のモチーフも繊細な技術で作られており 一目で顧客を 虜にする作品です

そのセッティング技術は過去の技術なので 職人も少ないのですが 職人を探しだし 依頼も職人の側にたった物づくりを行い 職人にも信頼を持たれているそうです

地金 は[銀]が主力で 金 プラチナ アルミ チタン・・・を使います ダイヤモンドカットもオールドカットと呼ばれるものも使います

ここでいう過去の技術というのは 18世紀~19世紀ごろの技術で 今の技術が最高?
ではなくハイジュエラーと呼ばれる当時から存在するジュエラーでも 当時のものが 最高作品といわれるところも多いのです。

ハイジュエラー”グラフ”が若いころセールスした「ヴィクトリアンスタイルのクラスターリング 」や”ブルネイ王族"を魅了した18世紀の技術と言われる「トランブラン」は 現在のジュエリー技術が最高では無く 芸術性や工芸としては 後退しているところもあります。
(フランス王室のダイヤモンドを購入したティファニィーが リカットして販売した事は今でも愚行と言われています)

MONDIA BIJOUXも 廃れゆく技術の取得 こだわりを持つた作品に 少しでも近づけるよう努力いたします どうぞ一度ご利用くださいませ。

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MONDIA BIJOUX

人造宝石のネックレス

定価 ¥130000

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2009年5月 2日 (土)

「ハイジュエリー」 「ファインジュエリー」のホント!!

「ハイジュエリー」 「ファインジュエリー」と検索すると 山のように出てきます。
皆そう呼んでいいんですか?

これまた  鑑定士と同じ様に 公的規定 公的資格も 要らないので 
販促のために ”ハイジュエリー”とか”ファインジュエリー”と謳った ジュエラーや
ジュエリーが多いのも 性善説の業界ならではだと思います

日本ジュエリー協会の区分けで申し上げますと 英語版は「ファインジュエリー」はグレードとして一番高い位置付けで シェアは一番少ない物として 図解してありますが 
日本語版では 「ファインジュエリー」のシェアが増えています。 

これは 貴金属を使い 天然石を使えば すべて”ファインジュエリー””ハイジュエリー”と呼ぶみたいです 解説では 我が国は本物志向のお客様が多いからとなっています。

1970年代に ジュエリーがようやく 一般化した我が国で 本物が分かるんでしょうか?
石質でもピンからキリで オーストラリアの鉱山から5000万カラットも毎年生産される時代です 天然石だからでは通用しないと思います。(石質と重さ大きさだってハリーウインストンでは1カラット以下はメレだ!!!というほどです)

地金で言えば プラチナを使っているから!! 
確かに今でもホント”のファインジュエリ”ー ”ハイジュエリー”にも使われてはいますが 
我々が目にするジュエリーは コスチュームジュエリーと呼ぶ流行品ですから
本来プラチナを使う必要性は無く 製品を高い価格にする為の手段では無いかと 個人的には思っています。

現在のヨーロッパでは 一般ジュエリーでは ホワイトゴールドが主力ですし 100年程前の王侯貴族のジュエリーでも銀が中心で 金を裏張りしたりして使っていたのです。

”ハイジュエリー” ”ファインジュエリー”と呼ばれるものは 良質の石で 貴金属を使うと言う前に 芸術的テーマ沿った作品で 最高の技術を駆使したものでなければなりません!!

技術を 工賃と呼んだ時 ”バンクリーフ&アーペル”の「ミステリーセッティング」の様に 製作に1年以上も係る作品づくりの製作費は 莫大です当然価格に跳ね返ります。

例として3年程前の話ですが 他社のダイヤモンドのプラチナブローチのダイヤが1個外れたのでと 修理の見積もりを頼まれ 職人に聞きますと プラチナの爪が折れているので工賃1万くらいです ダイヤはメレだから500円くらいです 
当方は サービスなので 「約1万2000円くらいです」と申し上げますと 「本物は高いよね」 とおっしゃるのを お聞きして 思わず「ダイヤとプラチナの代金より 修理工賃が高いのです」と 申し上げそうになりました。

ファインジュエリー ハイジュエリーは本来 一般的には関係のないジュエリーですが
代表的なところはどこだ?と言う質問であれば
ハイジュエラー”グラフ” とカリスマデザイナー”JAR”とお答致します。
殆どの方が聞いたことがないとおしゃいます 
ハッキリ言えば それが”ファインジュエリーやハイジュエリーなのです!!

ファンジュエリーにも負けないクロスオーバーの作品作りを MONDIA BIJOUXは続けています!!一度お試しいただければ幸いです。

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マジョルカパールと人造宝石のネックレス

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2009年5月 1日 (金)

「トリファリ」と「アルフレッド・フィリップ」について!!

1900年代初頭に イタリア ナポリ出身の”ギュースターヴォ・トリファリ”が叔父と共にヘアアクセサリーのメーカーを始めます。

1917年に販売経理のエキスパートの”レオ・クラスマン”が加わり コスチュームジュエリーのメーカーへ転換し 会社大きくなつて行きます さらに営業力のあるカール・フィシェル が加わって トリファリのデザイン力 クラスマンの経営力 フィシェルの営業力と の分業が行われ 会社として発展して行きました。

しかし本当に”トリファリ”が認められたのは 1930年に”アルフレッド・フィリップ”がチーフデザイナーとして参加した時からと 言ってもいいでしょう。

”フィリップ”はハイジュエラー ”カルティエ”や ”ヴァンクリーフ&アーペル”に在籍していました
彼の宝飾技術で生み出す ファインジュエリーに遜色ないハンドセッティングの作品は「ラインストーンの王者」とまで呼ばれました。

”フルーツサラダ シリーズ”と呼ばれるデザインはカルテェの”トゥッティフルティ”にヒントをえて作成されたと言われ
「インヴィジブルセッティング」は ”ヴァンクリーフ&アーペル”の”ミステリーセッティング”を参考に 石を留める金属を徹底的に隠して止める技術を開発し 製品のグレードをアップするため 宝飾技術を駆使して作品を作り上げました。(彼が在籍したのは 1930年~1968年の長きに渡りました)

地金は銀 ゴールドメタル・・・を使用していましたが戦時中は銀の急騰や 軍の指示で制約を受け「トリファニューム」というアルミ合金を開発して使いました。

トリファリの もう一つの力は 宣伝力でした 「JEWELS BY TRIFARI」の宣伝が1938年に全米に向け広告を出し 同時に価格の抑えた製品も発表するという抜け目のない戦術でした。 

話題性も巧みに取り入れ 戦時には 星条旗とか双頭の鷲 エリザベス即位の時は即位記念とかに必ずシリーズを発表しました アイゼンハワー大統領夫人は 1期目 2期目と「トリファリ」にジュエリーを注文しました。

こうして現在でも続くトリファリですが 実体は1970年以降 ホルマーク ・・モネグループ・・と代が変わり現在は リズ・クレーボンがオーナーになっています。

ホンモノ ニセモノでも申し上げましたが
①消費者が 王族貴族から資本家さらに一般大衆変わったジュエリー 
②ダイヤモンドが不足していた時代と 現在 質はともかく100万カラットの毎年生産されるダイヤモンド 
③ジュエラーも初代とかそこで最高の物を求める人が働いていた時代と ファンドとかに買収された時代のジュエラー( そこには利益追求の宿命があります)

リスクを恐れず最高の物にチャレンジする初代は 現在で思い浮かぶのは”グラフ”が代表する人でしょう
同時に”フィリップ”が辞めたトリファリは名前だけのものになり現在に続いていますが
ハイジュエラーと呼ばれるジュエラーでも 同じことが言えます
結論づけるとすると 稼業から企業化とでも言えるのでしょうか?
そんな状況下(①~③) 我が国では 今でも 偽物 本物の論議!! 
何が本物か? には歴史を知ることも必要ですし
一般的ジュエリーは ダイヤモンドでもプラチナでも 唯の装飾品(コスチュームジュエリー)と呼ぶ 流行品でオシャレ用です!!
買い換えたり 着け換えたりして楽しむものです!!それが贅沢なんです!!
ラグジュアリー(贅沢)ブランドも ほとんど流行品を販売しているのです!!
毎年新作発表している事で 御解りになると思います。 

自分の理想を求めるとMONDIA BIJOUXでも 道楽ですか?と聞かれます
道楽ではありません 一段一段上がる度 お客様に満足いただき 自分にも納得できる物づくりをしているだけです 
一度お試し頂いたり ご希望もおよせ頂ければ幸いです。

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